おもてなしの伝統を今に引き継ぐ

皆美とは

おもてなしの伝統を今に引き継ぐ

皆美館は、明治二十一年創業の老舗旅館です。
城下町松江の宍道湖畔に佇み、多くの文人墨客に愛されてきました。
「客のこころになりて亭主せよ」という社訓のもと、創業の女将からおもてなしの心を引き継いでいます。
創業当時から親しまれる絶品の皆美家伝「鯛めし」を中心に、山陰の幸を活かした伝統の味をお届けしております。
山陰屈指の名湯玉造温泉にも別館(現:佳翠苑皆美)を出し、お食事処として松江、東京銀座、日本橋、お取り寄せとしてオンラインショップと、そのおもてなしの心を広げてきました。

文人墨客が愛した老舗旅館

文人墨客が愛した老舗旅館

城下町松江で本館を開業

皆美家の祖は明治初期、食酢の醸造・販売を手掛ける「京店の酢屋」として商いをしておりました。
酢屋は五代で閉じ、当主「皆美清太郎」が「皆美」の屋号で湖水や山並の絶景を活かした旅籠を開いたのが始まりです。
開業当時の部屋数は宍道湖畔の住居であった二階の三部屋だけでした。

最初のお客様はお坊さん

最初のお客様はお坊さん

島根県西部にある石見からお越しになった、僧侶十人余りが最初のお客様となりました。
「いくら何でも最初がお坊さんではどうか―」と家族で相談の末「何事も万事まるく納まる―」との結論となって、こころよく宿を引きうけたそうです。

多くの文人墨客がお越しに

皇族方がご宿泊され、その他、芥川龍之介、河井寛次郎、高浜虚子、川端康成、岡本太郎、小泉八雲、里見弴、田山花袋、大町桂月、志賀直哉、武者小路実篤、佐藤春夫、内田百間、尾崎士郎など多くの著名な文化人、政財界人、芸術家が訪れるようになりました。

島崎藤村が宿泊した「藤村の間]

島崎藤村が宿泊した「藤村の間]

昭和二年七月には島崎藤村が令息と来泊されました。
『山陰土産』には、松江の風光の美しさ、皆美館の居心地の良さが記されています。
三泊のご予定が五泊の滞在となり、帰り際に主の為にと「芭蕉の言葉」を揮毫(きごう)して頂きました。
今も床の間に飾り、記念の部屋として「藤村の間」と呼び、当時のまま保存しています。

「客のこころになりて亭主せよ」

創業当時、すべてを切り盛りしていたのは皆美清太郎の妻、ユキであり、皆美の初期の基盤を築きました。
その中で、藩政改革を行い、名君でもあった松江藩七代目藩主・松平不昧公(ふまいこう)が残した「客のこころになりて 亭主せよ」という教えを大切にしてきました。
この言葉を社訓として、お客様への心遣いと奉仕の精神の支えとしています。

海外での評価も高い枯山水式の日本庭園

海外での評価も高い枯山水式の日本庭園

館の南側、宍道湖に隣接した庭は、湖を借景とし、樹齢300年の見事な名木が織り成す白砂の日本庭園となっています。
海外でも高く評価され、日本庭園ランキングで2年連続3位に選ばれました(2019年時)(アメリカの日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」調べ)。

創業当時から親しまれる絶品の皆美家伝「鯛めし」

日本海、宍道湖の幸に恵まれた山陰。その山陰の海の幸、地の幸を生かした、皆美伝統の味をご提供しています。

松江七代目藩主、松平不味公ゆかりの皆美家伝「鯛めし」

松江七代目藩主、松平不味公ゆかりの皆美家伝「鯛めし」

皆美館初代板前長の西村常太郎が家伝料理として考案し、以後、後進によって代々伝承されています。鰹本節ベースの出汁、鯛の上品な香りと味わいは何度でも食べたくなる味です。今では島根県松江を代表する、名物料理となりました。

受け継がれてきたおもてなしの心を広げる

玉造温泉に別館「佳翠苑皆美」

玉造温泉に別館「佳翠苑皆美」

神の湯と呼ばれる山陰屈指の名湯 玉造温泉。
今から千三百年前の奈良時代初期からあったと言い伝えられており、美肌と健康に高い効果を持つ名湯として親しまれています。その玉造温泉に、昭和二十七年に松江「皆美館」別館を開業しました。趣きの異なる百室以上のお部屋を有し、昭和六十三年に「佳翠苑皆美」と名を改め今日に至ります。

割烹料理、お食事処「味皆美」

割烹料理、お食事処「味皆美」

松江の宍道湖畔、東京銀座、日本橋にお食事処、割烹料亭を開き、創業以来のもてなしの心を大切にしながら、郷土松江の四季折々の味を提供しております。



オンラインストアをリニューアル

多数のご要望にもお応えし、ギフト用、ご家庭用として皆美の味をご堪能いただけるようにいたしました。
「家伝鯛めし」を始め、「料亭だし」「いろどり飯」「しまね和牛」など、伝統の味をお楽しみいただけます。

創業から受け継がれてきた、おもてなしの伝統を守りながら、ご家庭にもその心を届けて参ります。